tikiti-settoの日記

毎日日記を書きます(予定)

4月7日の日記-選択を忘れる

 毎日更新したい気持ちはあるけど全然隔日だね。でもこれ「確実更新します!」って言うと2日に一回になるタイプのそれなので、毎日更新のままにする。

 

・隔日更新の件もそうだけど、記憶を失ったように忘れることが多すぎる。特に、他人に迷惑がかからなくてかつ緊急じゃない用事。

・プラゴミ出しとか、リンスの買い出しとか、映画の上映期間とか、テレビの予約とか、買った服のタグを切ったりとか…。

 プラゴミって溜めても虫わかないし、シャンプーさえあれば清潔だし、映画はそのうち配信されるし、テレビは見なくても死なないし、着るときにタグ切れば大丈夫だし…。でもゴミは無い方が家が綺麗だし、リンスつけた方がサラサラだし、映画館で映画見たいしテレビも見たいし買い物後にタグ切ってから服しまいたいよ。

・忘れたとき「ちょっと自分がしょんぼりする」以外の被害が出ない物事ばっかり忘れてる。しかも悔しいのが、一回は必ず「やろう!」と計画したことって部分。

 ゴミは前夜に「明日プラごみの回収日だな」って思って、次の日起きたのに忘れるとか。映画やテレビは「これ観たい!」って事前に思ってるから『忘れる』って事態が生まれるし。

・こういう「ちいちゃいしょんぼり」が集まって毎日ちょっとずつ傷ついてる。大きな害は出ないんだけど、自己肯定感が削がれるというか、選択肢を自分から捨ててしまうことに大きな喪失感を得る。

 

・『自由』って『選択肢が多い』ことだと最近は思っている。例えば、宿題しなさい!って言われてやる勉強と自主的に始める勉強では、後者の方がより自由じゃん。自分で選択しているわけだからね。反抗期って自由のために戦う時期だし(自論)。

 私は自由な状況から失念によって不自由に向かおうとしているから落ち込むんだろうね。

 

・逆に自分が絶対忘れないものについて考えてみた。「やろう!」と思って忘れないこと。思い当たるのは、締め切りや水回りの掃除、電気代の支払い、あとは漫画の発売日だったり友人の誕生日だったり、かな。

・これは二種類に分けられる。「忘れた場合に相当嫌な思いをすること」「本当に大好きなこと」この2つ。

 ここでいう『相当嫌な思い』は、既に体験済みっていうところが興味深いな。締め切り破って吐くほど後悔したことがあるし、実家で虫沸いてノイローゼになったことがあるし、電気代は一度支払い忘れて血の気が引くほど焦ったことがある。「もう二度とあんな思いはしたくない!」っていう強迫観念みたいなものが無意識に思い出させてくれてるのかもしれない。

・「本当に大好きなこと」かあ…。こう考えると今後『大好きなもの』を忘れた時にめちゃくちゃ落ち込みそうでやだな。映画館で見る映画も相当好きなんだけどな。これに関しては所要時間とお金の関係もある気がする。

 

・まとめてみると、私が物事を忘れないようにするには「相当嫌な思いを経験する」or「大好きになる」の2点なんだよな。

・きっとこれからの人生、「相当嫌な思いを経験する」の方が頻度高いんだろうなあ…。頑張って防がないとな…。

 そうして、死ぬ頃には「大好きだからできるようになった」の方が多いといいな。そのほうがなんか、豊かだよね。何も忘れない人になれるとしても、強迫観念に塗れた人生ならいらないな。

 いろんなもの愛しながら老いていきたいよ。

 

 

 いつも人生全部に帰結させちゃうな。しかもまとめ方が急ハンドルになっちゃうのはいただけないわよね…。でも万物には相互関係性があるみたいな話、好きだから辞めらんない!もうちょっと順を追って文章をかけるように慣れていきたいね。